「至誠」
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そして、各医療機関で未だ収束の見えぬCOVID-19にかかる診療のため、ご尽力をいただいている診療放射線技師の諸氏に深く感謝と敬意を表します。引き続き、自らと患者さんの安全を保持していただきますようお願い申し上げます。
先日「なぜ人は働くのか?」と中学生の子どもから尋ねられました。
働くとは…これは後に触れるとして、人は皆大人になります。
そして社会に出て働くうち、時に「人生」や「生きる意味」について考え悩み、壁にぶつかります。
それは大抵、精神的に疲れ、心に余裕がなくなり、1日24時間中労働時間を8時間とすると、人生の大半を費やしている「仕事」に意味を感じなくなった時や迷いが生じている時ではないでしょうか?
もちろん、私にもそんな経験はあります。ですが、人生の大半を占める仕事が充実していなければ、人生そのものが不幸になってしまいかねません。
さて、ここで先人の教えをご紹介します。
幕末、長州藩の思想家であり教育者でもある「吉田松陰(1830~ 1859)」は黒船来航に危機感を募らせ、ペリーの黒船でアメリカへの密航を企てるも失敗し、故郷の萩で投獄されます。
しかし彼は獄中でも苦境に負けず、学ぶことにおよそ縁のなかった他の囚人達に老子の教えを説き、看守までもがその熱意に引き込まれ聴講するようになりました。
その後釈放され、松下村塾を主宰し子弟の指導にあたっていましたが、幕府の外交政策を激しく批判したため「安政の大獄」で処刑されます。
29年の生涯でした。しかしながら松陰先生の意志は、門下生達(高杉晋作・久坂玄瑞・伊藤博文・山縣有朋ら)に受け継がれ、処刑から9年後、日本は「明治」という新時代を迎えたのです。
彼が教えていたのはわずか2年ほどにもかかわらず、地方の私塾でしかなかった松下村塾から、新政府を担う数多くの逸材が輩出されたのはなぜか?
山口県文書館所蔵 吉田松陰関係資料164
松陰先生は常々「志を持つことがすべての源であり、自分を磨くために学ぶのである。」と説いています。
そして彼がまとめた「講孟余話」には、「誠は天の道なり 誠を思うは人の道なり至誠にして動かざる者は 未だ之あらざるなり 誠ならずして未だ能く動かすものはあらざるなり」つまり、「誠の心を持って尽くせば動かなかった人など今まで誰もいない。」と記しています。
(出典:松陰先生のことば-いまに伝わる志 萩市立明倫小学校監修)
また、最近の人材教育関係の資料には人の「やる気」を引き出せるような教育が究極である、というようなことがよく書いてあります。
要するに、教えたとおりに動くだけの人間よりも、自らが「やる気」を持って動く人間をひとりでも多く育てることで組織が栄えると解釈できます
松陰先生の「至誠」の精神は、時代に左右されず現代にも通ずる究極のコミュニケーションツールではないでしょうか。
最初の疑問に戻りましょう。
「なぜ人は働くのか?」
『まずは給料を取るため、次に自分の技術を高めるため、さらに後進を育てるため、最後に社会に貢献するために働く。そのためには、「使命感」「情熱」「緊張感」を持って臨むことである。』
昔、恩師に頂いた言葉で、私のなかでの「働く」です。
子どもにもこう伝えたいと思います。
あなたにとっての働くとは…?
今一度考えてみてはいかがでしょうか?